じっか、それは甘美な響き
あなたは実家暮らし?それとも?
生まれて育った家を想う短いお話
女三界に家なし
「三界(さんがい)」は仏語で、欲界・色界・無色界、つまり全世界のこと
女は三従といって、幼い時は親に従い、嫁に行っては夫に従い、
老いては子に従わなければならないとされるから、
一生の間、広い世界のどこにも安住の場所がない。
女に定まる家なし。
– Infoseek 大辞林 より
Tちゃん「ほら、そういう言葉あるやん、おんなさんがいに家なしって」
私「え、三階に?家なし?なにそれ」
Tちゃん「その三階じゃなくて…そこの広辞苑見てみて」
私「おお、ついに私もこの店の広辞苑を使う日が」
Tちゃん「Fさんやったら知ってるやろねぇ」
私が超常連と呼ばれる店の本棚にある大きな広辞苑はかなりの年季もので、
たまに常連のおじさん達がルーペで調べものをしている。
辞書特有のペラペラのあの紙をたぐる感触は、いつも
私に実家の空気を思い出させる。
わからない事があったら、その時に調べる、自分で、
それがまあ夕飯の準備中であれ。
かなり古い慣習に基づいた言葉だと思うけど、
時代の違いをさておき、やっぱりそういう事なんだろうとも思う。
フェミニストがうるさそうだ。
終の住処がどこになるかなんて分からない。
分からないから好い事も多いことぐらいもうとっくの昔に知っている。
長いつきあいの年上の女性が、実は籍を入れていないと教えてくれた。
彼女曰く「ほらなんかあったらいつでも別れられて気楽やんか」
私の親ほどの歳の彼女はそういってニカっと笑った。
カシニョールは今日も物憂げだ。
キッチンにしゃがんで
実家のキッチンが好きだ。
白いつや消しのほんの少しざらりとしてこってりしたタイルに
目地はマットな濃いグレーのような黒。
これ以上のキッチンは私には無いと断言できるのは、
そこで作られたご飯を食べて育ったから、というだけではない。
きっとここが聖域だった事を覚えているから。
父の食事の準備をしている母の後ろの棚にもたれてしゃがみこんで、
よしなしごとをだらだらと話すのが好きだった。
揚げ物をするときは危ないからあっちにいきなさいと言われたけど。
てきぱきと手際良く料理をする後ろ姿を愉快な気持ちで眺めながら
クラスの女の子たちのめんどくさい事や、
ちょっと気に入られている男の子についての最新情報なんかを、
話していたと思う。
キッチンの横にあるユーティリティーには勝手口がある。
失恋の痛手に加え、あっさりと裏切る”親友”という存在に衝撃を受け、
5分休憩のざわつきに紛れてするりと早退した日、
勝手口のドアの網戸越しに「かえってきてん腹たって」と言う私に
「あーそうなん」で済ませて笑った母の姿も懐かしい。
おじいちゃんの古時計
あの有名な曲についてはどうも、平井堅がカバーしたあたりから
妙に気に入らない。
今はもう動かないその時計
それがどうした
なおせよ
腕のいい職人に見積もりだして
修理しろよ
とね
ダイニングにあるこの時計は、母方の祖父の形見。
といっても私はその名物おじいちゃんとは面識が無い。
生まれた頃にはもう居なかったから仕方が無い。
だけど、おじいちゃんは色々と面白い逸話を残してくれているので
会った事はないけれど、おじいちゃんの事はすごく好きだ。
だいいち、好きなお母さんが大好きだったお父さんなので、
嫌いになる点はどこにも見当たらない。
おじいちゃんは老若男女によくモテたそうで、
私にそのような話があるときは、おじいちゃんの血かしらねぇ、
という事になっている。
おじいちゃんは何でも必要な物はすぐに自分で作ったらしい。
おじいちゃんはラジオで落語を聴くのが好きで、よく1人で笑っていたらしい。
おじいちゃんは母にとても甘かったらしい。
おじいちゃんは少し顔が長かったらしい。
おじいちゃんはお猿の次郎を飼っていたらしい。
だがその次郎が母を噛んだ時、すぐに人に引き取ってもらったらしい。
おじいちゃんはとても優しい人だったらしい。
おじいちゃんはよくモテたらしい。
おじいちゃんもカメラが好きだったらしい。
おじいちゃんが作ったちょっと見た目が不気味な耳かきは、
私たち母娘のストレス解消に受け継がれている。
おじいちゃんの時計はかっこいいし、
少し時間が遅れるけどそんなことはどうでもいい。
あったまきた
本当にあったまきたと思う事が、父に対する想い出にたくさん
あったはずなのに、最近はあまり思い出せない。
ただ、あったまきたと思った時にやってきた事はわりと覚えていて
2階のトイレのペーパーホルダーを右の拳で上から叩き落とした事、
階段の上から突き落としてやろうかと思った事、
オーディオルームの真空管アンプ等を全て壊してやろうと思ったけど
ひどい報復が待ってそうだし、価値は分からないけどとても勿体ない気がして
壊さなかった(壊せなかった)事などが思い出される。
もっとすごい姉の話があるんだけれど、姉はお嫁入り前の綺麗な娘さんなので
それは秘密にしておこうと思う。
ホビー教が教えてくれること
みうらじゅんが言っていた。
自分が死んだら、一生懸命集めていたものはどこへいくの。
ホビー教はそんな人生の切なさも教えてくれるんだ、と。
コレクターの死っていうのも最近よく目にする言葉。
レコード屋にアーティストのコレクションがどさっと入っていると
人はコレクターの死を想うそうな。
別れの手続き
今回の帰省で相当の想い出を捨ててしまった。
捨てる神ハイパーの母に追い立てられながら
相当な数の想い出を捨ててしまった。
想い出の品々を手にとって、感慨深くなる暇もなく、
手にとっては捨て、手に取っては捨て、
いやでも、今まで帰省していなかった自分が悪いのだから
すべては仕方が無いのである。
10代の頃からとにかく小物が好きで、それでまあ雑貨の仕事に
就いたのだから案外私もストレートな生き方をしているなと思う。
大学入学とともに離れた実家の自分の部屋には、ありったけの小物が
小さな引き出しから、観音開きのクローゼットにまで詰まっていた。
のに。
カメラを持って行っていたので、捨てるものを撮影しておけたのは
せめてもの救いだけれど、多分大事な手紙や写真や交換日記も
たっぷり捨ててしまっただろうなぁ…
封印!と書かれた大昔の恋人の写真が入った封筒は救ったけれど
そうやって救ったものにあんまり価値が無い気がするのが面白い。
私は ”捨てたかもしれない想い出” を懐かしく思っている。
みんなの実家は元気ですか?
実家ショートショート
11/02/2011 投稿者: 1000film